若貴時代のようにもう一度相撲を盛り上げよう

荒れる大相撲春場所について

大相撲春場所

大阪で春の訪れを告げる、大相撲春場所(三月場所)は、荒れる場所と喧伝されていますが、実際は平成に入って優勝した力士で横綱、大関以外を見てみると、平成5年の若花田(後の三代目若乃花、若貴兄弟の兄)と12年の貴闘力のみで、決して荒れる場所という冠が付くような荒れる場所ではないことがわかります。

それがなぜそのように呼ばれたかというと、昭和28年に大阪で本場所が開催されるようになった時までさかのぼります。この年、4人の横綱がいましたが、場所の前半では揃って調子が悪く横綱らしい結果を出すことができませんでした。

場所中には不振を極めた横綱千代の山が横綱返上を申し出るという、前代未聞の出来事が起きました。大阪で最初に開催された大相撲の春場所は、このようなことがあって荒れる春場所という認識を持たせることになったのです。

そして、この説をさらに大きくしたのが、元横綱の朝潮で大阪太郎の異名で5度の優勝のうち4回が大阪で、しかもそのうち2場所は関脇の地位にありました。また、横綱北勝海も関脇保志のしこ名で、初優勝を飾りました。